- 検地帳に登録された耕地は高請(たかうけ)地と呼ばれ、年貢がかけられた。
- 江戸時代初期には、領主は年貢のほかに労働を提供させる夫役(ふえき)も徴収しており、年貢と夫役を負担できる者だけが本百姓だった。
- しかし1660〜70年代から夫役は、米か貨幣で代納するようになり、年貢とともに村に割り当てられたため、本百姓は高請地を持つ高持百姓と同義語となった。
- 村落は本百姓を基本に構成され、その運営に必要な費用を負担することで、用水や共同所有の土地である入会地(いりあいち)などを利用・共同管理する権利や村寄合とよばれる集会に出て村政に加わる権利を持った。
- このため、本百姓の地位が家格とみなされて、本百姓株が定められることもあった。
- しかし、没落する者や水呑百姓(みずのみびゃくしょう)から本百姓になる者もいた。
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