- 1853-1890(明治23)年
- 27歳になるまで画商、フランス語の教師、神学校の学生、ベルギーの炭鉱での伝道師など、次々と職を変えた。
- 1886(明治19)年、パリへ行き、画商だった弟テオといっしょに住み、当時パリで展開しつつあった新しい美術運動に接することになる。
- パリでは印象派や日本の浮世絵に多大な影響を受ける。
- 1888(明治21)年、南仏のアルルへ向かい、プロバンスの燃えるような陽光のもとで田園生活を描く。
- ゴッホは、パリで知りあった画家ゴーギャンを、アルルに熱心に誘い、一緒に住む。
- 住み始めて2カ月もしないうちに、けんかでゴーギャンをカミソリで脅す事件を起こす。
- 深い悔恨からゴッホはその晩、自分の左耳を切り落とす。
- その後、一時アルルの病院に入院した後、1889(明治22)年、近くの精神科病院へ移り、1年間療養する。
- 1890(明治23)年、ピストル自殺を図り、2日後に死亡する。
- ゴッホが有名になったのは死後。
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