- 1452〜1519(日本-室町時代中期/戦国時代前期)
- 絵画、彫刻からスタートし、建築、技術、科学、哲学など多彩な分野での研究をのこし、「万能の人」の最高の典型といわれている。
- 完成した作品は少なく、寡作家だったが、膨大な量の素描と手稿が遺(のこ)されている。
- 人物史
- フィレンツェでの修業時代
- フィレンツェ近郊のビンチ村で、裕福な公証人と小作農家の女性との婚外の子として生まれる。
- 1466年ごろ、当時の美術界をリードするベロッキオに弟子入りし、絵画、彫刻、建築など、多方面にわたって学んだ。
- 1472年、画家組合に加入するが、引き続いてベロッキオの助手をつとめた。
- 1478年、独立。
- ミラノ時代
- 1482年ごろ、ミラノ公ルドビコ・スフォルツァの宮廷画家となる。
- スフォルツァ公の軍事技師をつとめ、建築家としても仕えた。
- ミラノには17年間滞在したが、この時代を代表する絵画作品は、2点の「岩窟の聖母」(1483〜1485、1490年代〜1506/08)とサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ修道院食堂の壁画「最後の晩餐」(1495〜1497)。
- 「最後の晩餐」では、実験的に乾いた漆喰(しっくい)の上に油絵具を使用したが、技術が適切でなかったため、1500年ごろには悪化が始まっている。
- 1726年以降、修復作業が試みられたが成功しなかった。
- 1977(昭和52)年、最新技術が導入され、損傷はいくらか回復した。
- オリジナルの絵肌は大部分が失われたが、雄大な構図と鋭い人物描写をうかがい知ることができるという。
- フィレンツェに帰還
- 1502年、ロマーニャ地方の公爵チェーザレ・ボルジアに仕えた、主任建築家・軍事技師として、中部イタリアで教皇領の要塞建設の監督をつとめた。
- 1503年、ミケランジェロが制作した彫刻「ダビデ」(1501〜1504)の設置委員会のメンバーとなっている。
- 2度目のフィレンツェ時代に肖像画を何枚か描いたが、現存するのは「モナ・リザ」(1503〜06)だけ。
- 後にバザーリによってモデルとされた女性の夫の姓にちなんで「ジョコンダ」とも呼ばれるが、モデルには諸説がある。
- 美術史上最高の肖像画の1枚ともされるが、レオナルドは、この絵に特別の愛情をいだいていたらしく、旅をするたびに身の回り品といっしょに持ち運んでいる。
- 晩年の旅
- 1506年、ミラノ総督シャルル・ダンボワーズに招かれて再びミラノに行く。
- 翌年、当時ミラノに滞在していたフランス国王ルイ12世の宮廷画家になり、6年余り仕えた。
- ミラノでは、水流に関する研究や土木・運河工事など工学的な事業を続行している。
- 1514〜16年、教皇レオ10世の保護のもとローマに滞在。
- バチカンのベルベデーレ宮殿に住み、科学研究と実験に専念した。
- 1516年、フランスに行って国王フランソワ1世の宮廷画家となり、最晩年はアンボワーズ近郊のクルー城で過ごし、そこで没した。
- 絵画
- 制作した絵画の点数は少なく、その多くが未完成だったにも関わらず、並外れて革新的で強い影響力を持った芸術家だった。
- 様式上の革新は「最後の晩餐」をみればより明らかだという。
- この作品でレオナルドは伝統的な主題をまったく新しい方法で表現している。
- 十二使徒は個々の人物像として表されるのではなく、今にも動きだそうとするような3人1組のグループにまとめられ、画面中央に孤立するキリストを描いている。
- 「ここにいる者のひとりが私をうらぎるだろう」と予言するキリストは、壁の四角い穴を通して遠くに見える青白い風景を背にし、活発な身ぶりで反応するまわりの者たちに対照させて、静かな中心をなしている。
- 「モナ・リザ」は、伝説的な微笑の神秘性とともに、技術的な革新を極めた作品としても知られている。
- この作品でレオナルドはスフマートとキアロスクーロという2つの技法を完全に使いこなしている。
- スフマートは、もやがかかったような大気の効果を生みだすために、明暗や色調を微妙に変化させてぼかしていく技法。
- キアロスクーロは、光と陰の対比を用いて形態や量感を表現する技法。
- 彼はこれらの技法を最初に用いた巨匠のひとり。
- またレオナルドは、自然の風景を描くために空気遠近法を最初に導入した画家のひとりでもある。
- 科学者レオナルド
- レオナルドは最先端の科学者でもあった。
- 彼の科学理論は注意深い観察と綿密な考証に基づき、正確な科学的観察の重要性を誰よりもよく理解していた。
- 科学研究は様々な分野にわたり、完全なものにはならなかったが、数多くのノートが遺されている。
- そのほとんどが左右反転した鏡文字で書かれたので、レオナルドの発見が生前に広まることはなかった。
- もしそれらが公表されていたなら、16世紀の科学に革命を起こしただろうといわれているという。
- 実際、彼は数多くの近代的発見を先取りしており、解剖学では血液循環と眼球運動を研究し、気象学と地質学においても、潮の干満に対する月の影響、大陸形成に関する近代的概念、貝の化石の性質などについて推論している。
- 水力学を創始したひとりでもあり、比重計を考案したのではないかとされている。
- 運河開設の方法は現在でも通用する。
- また精巧な機械を数多く発明しており、潜水服のように実用性の高いものがある。
- 飛行装置は、実際に飛行することは不可能だが、空気力学の原理を具体化したものだった。
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