- 1822(日本-江戸時代後期)〜1884(明治17)年
- 当時のオーストリア帝国、現在のチェコの農家に生まれる。
- 学問と科学の中心として知られるアウグスティヌス会修道院に入る。
- その後ブリュン実科学校の代用教員となり、修道院の庭で植物の変異、遺伝、進化を調べる実験に意欲的に取り組んだ。
- 1856〜1863年(日本-幕末)に2万8000本以上のエンドウを栽培して、種子と植物の7組の形質を念入りに分析した。
- 単調な実験を辛抱強く行って導き出した2つの概念は、のちに遺伝の法則(メンデルの法則)と呼ばれた。
- 観察の結果、今日も使われている2つの遺伝学用語、優性と劣性を作りだした。
- 両親の形質のいずれかが子孫に現れるが、現れる方が優性、隠れるほうが劣性。
- しかし、研究成果が注目され始めたのは1900(明治33)年になってからで、さらにその真の意義、とくに進化論との関係がじゅうぶん認識されるようになったのは、1920年代後半から1930年代前半(昭和5-)にかけてのことだった。
- 1870年代(明治3-)には修道院での職責が重くなるにつれ、遺伝の実験を行わなくなった。
- 1874(明治7)年、オーストリア議会が修道院からも徴税する法律を制定、メンデルはその反対闘争に立ち上がり、死ぬまでの10年間はその撤回のための闘いに全精力を傾けた。
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