多摩ニュータウンの記事 (東京都多摩市) (最終更新:2009.03.08) |
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■メニュー
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■多摩ニュータウン |
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2009.03.08 |
- 多摩ニュータウンに「団地の縁側」
- 地域でお年寄り見守る場広がる
- ラウンジ設け住民交流拠点に
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2008.11.11 |
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2008.09.24 |
- マンション管理で連携
- 多摩ニュータウン地域の14組合など
- 高齢化や修繕 情報共有
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2008.06.22 |
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2008.06.19 |
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2008.05.19 |
- 高齢化の多摩ニュータウンでNPO
- 葬送考える企画展
- 公式HP→手元供養協会
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2008.04.19 |
- 多摩ニュータウンの「元気」撮った
- 住民「街」見据え
- (記録映画「多摩ニュータウンわたしの街」)
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2008.02.29 |
- 「歩車分離」譲れぬ原則
- SC建設、住民意義
- 入店の歩行者、車路横切る構造
- (「クロスモール多摩」(仮称))
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2007.10.31 |
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- 高齢化が進む諏訪の都営住宅団地に、地域のお年寄りが気軽に立ち寄れる休憩所「ふらっとラウンジ」がオープンした。
- 「お年寄りだけでなく、地域のみんながコミュニケーションできる場にしたい」と自治会会長。
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2007.09.22 |
- 新旧住民つなぐ「懐メロ」
- 街の変化 振り返る
- 音頭などCDに復刻
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- CDのタイトルは「多摩の村から未来のわがまちへ」
- 51年前、多摩ニュータウンがまだ丘陵だったころにつくられた「多摩村音頭」を多摩市文化振興財団がCDに復刻し、地元限定で売り出す。
- 多摩村音頭の完成は1956年(昭和31)。多摩村教育委員会やPTAが「健全な郷土の歌」として制作した。
- 「春はむさしの チョイト 向の丘に ヨイヨイ 秩父多摩川 かすみ立つ」「多摩はよいとこ よいとこな」
- 「村から市へと発展してきた歴史を振り返ってもらおう」と、ニュータウン開発が進んでいた1976年(昭和51)に発表された「多摩音頭」「帰って来ておくれ」も復刻する。
- 多摩音頭は、新旧住民の交流をめざしてスタートしたばかりの市民祭を機に、歌詞を公募して完成した。
- 帰って来ておくれは、ニュータウン開発で失われた自然への思いが歌われている。
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2007.08.29 |
- 倍賞千恵子さんがコンサート
- 多摩ニュータウン映画づくりを応援
- 「ふるさと」テーマ
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- 「多摩ニュータウンの映画をつくる市民の会」の主催。
- 急速な高齢化が進むニュータウンで、元気な街づくりに挑む住民たちを描こうと、撮影が進んでいる。
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2007.06.30 |
- 商店街再生へ 夏の陣
- 七夕に「語らいの場」
- 多摩諏訪名店街
- 近隣の学生たちが協力
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- 多摩ニュータウン初期に開店した商店街。
- 計27店舗のうち、営業中は20店舗ほど。
- 現状を変えようと協力したのは、法政大学福祉学部(町田市)の学生たち。
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2007.05.30 |
- 植物眺め10コース
- 多摩ニュータウン散策のお供に1冊
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- 多摩市文化振興財団とタウン誌「あい」の共同発行。
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- 昨年、ニュータウンの歴史をテーマにした散策路を、折りたたみ地図の形式で紹介したガイドブックを発行。
- 今回はそれに続く「植物編」として企画。
- 「古事記や万葉集にまつわる話など、歴史や文化的な情報も盛り込み、植物観察の入門的なものとしてまとめた」。
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2007.03.05 |
- 新たな魅力を住民の手で
- 多摩ニュータウンの坂
- 坂のある街
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- パルテノン多摩で開催中の「多摩ニュータウン・坂物語」。
- 企画した学芸員は以前からニュータウンは坂が多くて住みにくいという不満の声が多いことを気にしていた。
- 日本には”坂の街”がたくさんあり、坂とともに生活が営まれている。
- 開発前にはこの地にも名前で呼ばれた坂がいくつもあったことがわかる
- 企画の出発点は「多摩丘陵を平坦にしてニュータウンを作ったのに。これ以上利便性を追求してどうするのかと思ったこと」。
- 多摩の坂の伝承を知れば、坂のマイナスイメージも変わるのではと考えた。
- 大体の場所しかわからなくても「この辺りが『提灯屋の坂』か。近くに提灯屋があったんだな」と名前の裏にある物語を感じながら歩けば、「不便な」坂も楽しめるのではないか。
- 「昔、この辺りにはたくさんの山桜がありました」と「桜プロジェクト」の構想を練っている商工会議所会頭。
- 桜を植樹し、文化活動につなげるなど、桜を通して街の魅力作りをしていく。
- 「桜の向こうに美しい桜があると思えば、坂も気にならなくなりますよ」
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朝日新聞(定年時代) |
2006.09.29 |
- 資料保存、散逸防げ
- 多摩ニュータウン、開発主体が撤退
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- 東京都や都市再生機構の開発事業は昨年度までに終了した。
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2005.06.12 |
- 開発40年、未完の街・多摩ニュータウン
- 郊外宅地需要、伸び悩む
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- 開発の一翼を担ってきた東京都の宅地販売事業で、計1670億円もの税金がつぎ込まれる可能性が出てきた。
- 京王、小田急の多摩センター駅北側。雑草が生い茂る空き地が続き、「宅地分譲」の大きな看板があちこちに立つ。
- 人口は計画の3分の2の20万人にとどり、全体で売れ残っている土地は、都と旧公団合わせて東京ドーム52個分になる。
- 当初は主に公営住宅用地などに売られていたが、1998(平成8)年度までに旧公団や都住宅供給公社などが新たな宅地を取得しなくなり、販売先を民間企業に変更。
- 立地のいいところから売れたため、残るのは傾斜地などが多い。
- これまでに投入した総事業費は約1兆1500億円。
- だが、バブル崩壊後は郊外の宅地需要は減り、地価も下落。
- 売れ残りを抱えた事業では採算が悪化の一途だという。
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■街をつくるまちに生きる 多摩NT40年 >>戻る |
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2008.03.22 |
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◆声 (多摩NT40年) >>戻る
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2008.05.31 |
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2008.05.30 |
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2008.05.29 |
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2008.05.28 |
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2008.05.27 |
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◆学ぶ (多摩NT40年) >>戻る |
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2008.02.29 |
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2008.02.28 |
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2008.02.27 |
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2008.02.26 |
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2008.02.25 |
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◆にぎわい (多摩NT40年) >>戻る |
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2007.12.27 |
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2007.12.26 |
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2007.12.25 |
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2007.12.21 |
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2007.12.20 |
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2007.12.19 |
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2007.12.18 |
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◆住まい (多摩NT40年) >>戻る |
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2007.11.24 |
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2007.11.23 |
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2007.11.22 |
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2007.11.21 |
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2007.11.20 |
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2007.11.17 |
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2007.11.16 |
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2007.11.15 |
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◆高齢化 (多摩NT40年) >>戻る |
2007.10.25 |
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- 諏訪団地の商店街の空き店舗前で国士舘大学ウエルネス・リサーチセンターの研究員が、お年寄りの健康チェックに取り組み始めた。
- 「多摩市のお年寄りは元気」と思える調査結果がある。
- 2004年(平成16)、市の高齢者実態調査のアンケートで自分自身を「健康」「まあまあ健康」と答えた人が80%を超えた。
- 「主観的健康感の高い人が長生きをする傾向がある。
- 緑が多いこと、介護が必要な人が少ないことなどが背景にあるのでは」と調査を続けている首都大学東京の都市システム科学教授。
- 開発から40年、住まいの身近には、見事に育った木々と広い空間がある。研究員も地区内の公園の充実ぶりに着目する。
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2007.10.24 |
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2007.10.23 |
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- 諏訪・永山地区内に7校あった小学校の中で3校が廃校になった。
- そのうちの一つをモデルに、多摩ニュータウンにキャンパスがある首都大学東京(八王子市)の建築学教授のグループが2005年(平成17)、ケアハウスや高齢者住宅への転用プランを設計した。
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2007.10.20 |
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2007.10.19 |
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- 高齢者のたまり場「永山福祉亭」で絵手紙作りの催しが開かれた。
- 閉じこもりがちな人に手渡し、交流のきっかけをつくる活動。
- 恵泉女学園大学(多摩市)の学生も協力し、一人暮らしのお年寄りに届けた。
- どこに独居者がいるか把握するのは容易ではない。
- ドアを開けてくれない人もいる。
- 思った以上に壁も感じた。
- 「行政の情報をもう少し提供してもらえれば、活動が広がる」とNPO福祉亭の理事。
- 福祉亭では「リボン活動」にも取り組んでいる。
- 手助けを「したい」人、「されたい」人がリボンをつけ、目印にしようという試み。
- フェルト製のリボンを洗濯されたり、なくされたり、飽きられたり・・・。
- この活動も地域交流の決定打ではない。
- 「人を動かすには10年かかる。失敗とか成功とかは関係ない。絶えず何かをやっていくことが大事だと思っています」
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2007.10.18 |
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- 永山団地の商店街にある「喫茶店」のような「永山福祉亭」。
- 高齢者の居場所をつくろうと、2002年(平成14)に市や都の資金で開設、2004年(平成16)から補助金なしの自主経営となった。
- 活動を支えるのはボランティア。
- 運営するNPO「福祉亭」の理事長は多摩ニュータウンを設計した一人。
- 「自分が手掛けた街の行く末を見届けよう」と1980年(昭和55)に越してきた。
- 開発当時は、高度成長期。
- 人口は10年先までしか予測していなかった。
- 少子高齢化の時代を迎え、「地域で解決策を見いだしたい」と福祉亭の運営に加わった。
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2007.10.17 |
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- 孤独死への不安を解消したいと、約1千世帯が暮らす諏訪4丁目の都営団地で自治会長たちが、70歳以上の一人暮らしの世帯に緊急時の連絡先を尋ねる手紙を配った。
- 感謝の言葉を記した人や、無反応、拒絶してくる人もいた。
- 回収率は約6割、67人から返事があった。
- 永山団地では「あんしん登録カード」と呼ばれる仕組みが取り入れられている。
- 緊急連絡先、かかりつけ医、血液型、利用している福祉施設名などを書き込む。
- 「いざ」というとき、団地に住む緊急連絡員が、カードに書かれた情報を基に連絡する。
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2007.10.16 |
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- 諏訪4丁目の都営住宅団地の集会所で、住民たちが「健康体操」を楽しんでいる。
- 体操は3年前、日本レクリエーション協会がモデル的に始めたのがきっかけ。
- 当初は「介護予防」をうたい、60歳以上の住民に呼びかけていた。
- しかし、年寄り扱いを敬遠する人もいるため、年齢の条件は外した。
- 今は、来る人に年齢を聞かないのがルール。
- 永山団地の公園ではラジオ体操。
- 集合時間以外、ルールはない。
- 「どなたでも参加できます」。そう看板を立てたら、顔を出す人が自然に増えてきた。
- 「規則を作らなかったのが良かった。顔なじみになり、一緒に旅行するようになった人もいる。地域交流として根付いてきました」と「南永山早起き健康クラブ」の代表。
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2007.10.13 |
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- 団地の5階で一人暮らしの80代の女性。
- 団地にエレベーターは無く、長い階段がバリアになっていた。
- 家族に支えられても、階段を上り下りすると翌日、決まって具合が悪くなった。
- 階段恐怖症。
- じっとしているのが一番、と思ってしまったという。
- 30年以上前の開発初期に建てられた団地には、バリアが多い。
- 1階に住んでいても、玄関までに数段、階段を上らなければならない部屋がある。
- 室内も同様。
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2007.10.12 |
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- 「ニュータウン1世」の多くが、70歳を超える。
- ここを「終(つい)のすみか」と決めている人が多い。
- 一方、ニュータウンやその周辺に暮らす娘や息子に呼ばれ、最近になって地方から越してきたお年寄りは「故郷で最期を」と願う人も多い。
- 診療所には、ふだんは誰とも話すことなく、「言葉を忘れた」ように暮らす人も来る。
- 「あぁー、良かった」というような表情で帰っていく。
- 医師の斉藤さんは診療所の待合室を「交流の場」として改修するアイデアを練っている。
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2007.10.11 |
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- 諏訪・永山地区に住む80代の女性は全盲。
- 同年代の夫と暮らしてきたが、その夫も数年前から認知症になった。
- 介護保険利用の限界を超え、全額自己負担の費用も増えてきている。
- 永山で診療所を開業して19年目の斉藤さん。
- 毎年、70歳以上に出す敬老祝いのはがきは、開業後数年のころは150枚ぐらいだった。
- 今は、約600枚に上る。
- 認知症や高血圧、骨粗鬆症の患者が目立ち始めた。
- 通院できないお年寄りを往診する回数も増えた。
- エレベーターのない5階の部屋で、3年間、一歩も外に出なかった患者も診た。
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2007.10.10 |
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- デイサービス施設「もえぎ」を経営する大塚さん。
- 入浴時、永山団地の70代の女性があかだらけなのが気になった。髪はぼさぼさ、つめも長い。
- 経済的な理由からか、家族がサービス継続の意思を示さなかった。
- 酷暑が続いた8月、この女性が、救急車で病院に運ばれた。
- 集中治療室に入るほどの容体だった。
- 「おそらく『放置』。家族が同意を渋るケースではどこまで介入するかは難しい」
- 「困ったら一時避難できる、駆け込み寺のような託老所があったら・・・」と痛感する。
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2007.10.09 |
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- 永山団地の商店街にあるデイサービス施設「もえぎ」。
- 同じ団地に住む大塚美恵子さん(61)が、以前、団子屋が店を開いていた後で開いた。
- 店先を通ると声を掛け合う間柄だった団子屋の主人が病気を苦に自殺。
- 「福祉の仕事をしている自分が、どうして気づいてあげられなかったのか」と自責の念に駆られた。
- 「だから、悩みを何でも聞けて、コミュニケーションの取れる場所にしたい。ここを、その出発点にしたかった」
- めざすのは堅苦しくない「茶の間」のイメージ。
- 電話がつながらない80代の女性のケース。
- 不審に思って訪ねると、部屋には真新しい布団が3組。
- 「体にいいから」と訪問販売で勧められ、契約させられていた。
- 販売員から、「よそからの電話には出るな」と言い含められていた。
- 女性はだまされたとは思っていない。今でも販売員を「優しくていい人」と思っているという。
- 「それだけ孤独なんだ」と大塚さん。
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2007.10.06 |
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- 諏訪4丁目の都営住宅に1店だけある食品スーパーの前に、福祉関係者たちが呼ぶ「たそがれベンチ」。
- ニュータウン開発が始まった時に植えられた木立のそば、年配の男性たちが、日中から缶ビールやカップ酒を手に語らう。
- 最近越してきた、一人暮らしの年金生活者が多いという。
- 顔見知りと「飲みニケーション」することで、癒しの時間を過ごす。
- 諏訪・永山地区ではここ数年、駅前や団地のスーパー周辺で、アルコール依存の高齢者の姿が目立ち始めたという。
- 「長期的に見れば自殺行為。それを本人たちに理解してもらわないと、大変なことになる」と市高齢福祉課のケースワーカー。
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2007.10.05 |
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- 諏訪地区は、1971年(昭和46)、多摩ニュータウンで最初に入居が始まった。
- 高齢者の優遇・優先制度を使って越してくる人も多い。
- 地縁がないため、近所との付き合いを避けがちになる。
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2007.10.04 |
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- 記録映画や神山征二郎監督の作品などで撮影監督を務めてきた映画人、南さん(71)。
- 多摩ニュータウンのドキュメンタリー作りに打ち込む。
- きっかけはテレビや雑誌が伝える「ニュータウン像」への反発。
- 老人の孤独死、シャッターの下りた商店街・・・。
- 暗いイメージが増幅されていた。
- 「オールドタウン」と言われることに、いらだちが募った。
- 南さんはニュータウンの初期入居組。
- 鉄道の開通前で「陸の孤島」と言われていた。
- だがそのころは、撮影の仕事が忙しく、自宅はただ、「寝に帰る場所」だった。
- 「ここを終のすみかと考えるようになって、『ふるさと』意識が芽生えたからでしょうか」
- 「ふるさとの将来」は不透明だ。
- ニュータウンの高齢化率全国平均の倍のスピード。
- 30%に迫る地区もある。
- 高齢者には住みにくい老朽化した住宅。かつてのにぎわいにはほど遠い商店街・・・。
- その現状に向き合おうとする市民の姿を映像にとどめたい。
- 「国や公団の開発が終わった今、街づくりは市民に委ねられた。自立に向かって歩みだした街の元気と誇りを伝えたい」
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