長野県大桑村の記事 |
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2007.10.26 |
- 「アイコさん」祭りへどうぞ_ミニトマト品種名ちなみ優待
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- 遊休農地などで、今年からミニトマト作りに取り組んでいる有志のグループ「殿様ファーム」は、「ミニトマト狩り・アイコ祭り」を温室で開く。
- 村が設けて休業状態だった農村体験ハウスと農地、個人の遊休農地に温室を建て、肉厚で甘みのある品種「アイコ」を主力に出荷を始めた。
- 村内の「アイコさん」は無料、木曽郡内の「アイコさん」は半額にして優待する。
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信濃毎日新聞 |
2007.10.07
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- 油絵に思いを込めて
- 大桑小の旧校舎 アトリエに
- 木曽に生きる
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- 統合により2003年(平成15)から使われなくなった大桑小学校の旧校舎。
- 中畑さん(56)は小海町にある小学校の校長先生だったが、体調を崩し、早期退職した。
- たまたま知ったのが、古い校舎の活用事業。
- 木のぬくもりが残る校舎の音楽室をアトリエに、絵を描く。
- 「元教員が旧学校校舎を借りて何かを生み出す」−不思議な巡り合わせを感じている。
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市民タイムス |
2007.09.16 |
- 故郷を盛り上げたい
- 和太鼓を子供に指導する
- 木曽に生きる
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- 村の子どもたちの和太鼓グループ・羅炎(らっぽ)。
- 中村さん(53)は、若いころは海上自衛隊の隊員で、潜水艦に乗っていた。
- 28歳で除隊し「自分のやりたいことをしたい」と思い、地元の友人たちと和太鼓を始めた。
- 44歳の時、公演中に脳卒中で倒れ、リハビリに励んだ。
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2007.04.25 |
- 広がる交流 山里支える
- 木曽ヒノキを奏でる里づくり 11年目
- 81市町村時代
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- 地元のヒノキを使って製作講座の受講者が三味線やアルプホルンを作り、交流人口を拡大する「木曽ヒノキを奏でる里づくり」が11年目に入った。
- 「当時、木材関連の地元業者5軒が村内で相次いで倒産し、たまらなかった。木の話題をつくり、人の交流を広げたかった」と里づくりを始めた村長。
- 「普通の木製品は売れば終わりだが、作った後もつながり合える」と製作を指導する木曽檜(きそひのき)三味線クラブ「檜弦(ひづる)」会長(39)。
- アルプホルンをつくる材料だけを売ってほしいという相談もあるが、「大桑に足を運んで顔を見合わせて作業するところから、人のつながりが始まる」と思うから、基本的に断っている。
- 「村には目立った資源がないが、活動を地道に続けていけば注目を受ける。それが村の自信につながる」と事務局担当の村住民課長。
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信濃毎日新聞 |
2007.03.29 |
- 紅白咲き分け 梅満開
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- 西尾酒造の中庭。
- 枝ごとに紅白の花が分かれて咲く梅の古木。
- 樹齢280年といわれる。
- 樹木医に診断してもらったところ、手入れ次第であと500年はもつと言われたという。
- 公式HP→西尾酒造
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2007.03.04 |
- 野菜のブランド化が夢
- 竹炭を農業に生かす
- 木曽に生きる
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- 冷涼な木曽地方には珍しく、あちこちに竹林が生い茂る。
- 「ここでは竹炭を焼いている。炭に向くのは4年ほど育った孟宗竹かな。身が閉まって良い炭になるぞ」と半場さん(69)。
- 7年ほど前に、生まれ育った地区の有志10人で大桑村自然農森倶楽部を結成した。
- 村に多く生え、時に農地を侵す竹の有効利用が目的だった。
- 炭は製品化しているほか、4、5年前から砕いた炭を田畑に混ぜ、化学肥料を減らした野菜作りに役立てている。
- 「竹炭には無数の穴があり、水の浄化や消臭に利用できる。土の微生物を育てるからおいしい野菜が育つ」と語る。
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市民タイムス |
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2007.11.14 |
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- 営林署の森林整備の作業道として使われていた。
- つり橋は「六段の滝」に通じる約700メートルの遊歩道の入り口にある。
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市民タイムス |
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2007.12.06 |
- 中央アルプス登山の”玄関口”
- サツキやツツジ 名物に
- ぶらり駅めぐり
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- 須原の語源は素原、あるいは砂原といわれ、河原のような地形という意味がある。
- 須原の宿場は最初、もっと木曽川沿いにあったが、度重なる洪水でほとんどの家屋が流され、1700年代初めころ、一段上の現在地に移された。
- 木曽谷のほかの宿場と比べ、火災に備えて通りが広くなっているのが特徴。
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市民タイムス |
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2007.05.12 |
- 淡いピンク ツツジ見ごろ
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市民タイムス |
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