- 1920(大正9)年-
- 高知(高知県高知市)の名家に生まれたが、陸軍の獣医であった父の転勤につれて各地を転々とし、朝鮮の京城(現・韓国ソウル)で小学校入学。
- その後も転校を重ねたため、成績・素行とも不良であったという。
- 旧満州(中国東北部)に送られ、配属された部隊は後にレイテ島(フィリピン)で全滅したが、胸部疾患のため日本に送還されて、九死に一生を得る。
- 戦後は困窮の中で脊椎カリエスを発病し、苦しみながら小説を書き始める。
- 1953(昭和28)年、「陰気な愉しみ(いんきなたのしみ)」「悪い仲間」で芥川賞を受賞する。
- 後に芥川賞の選考委員にもなる。
- 自らを劣等生、弱者と位置づけて、その視点を徹底させたうえにユーモアをからめた作品は、吉行淳之介、遠藤周作らとともに「第三の新人」と呼ばれた。
- 1960(昭和35)年、ロックフェラー財団の招きで半年間、渡米、1962(昭和37)年「アメリカ感情旅行」(1962)を著す。
- 1963(昭和38)年、ソビエト作家同盟の招きでソ連各地をまわり1964(昭和39)年、「ソビエト感情旅行」著す。
- 1976(昭和51)年、芸術院賞を受賞、芸術院会員となる
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