人物 |
尾崎行雄 |
おざきゆきお |
- 「憲政の神様」、「議会政治の父」と呼ばれる、明治〜昭和期の日本を代表する政党主義政治家。
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- 1858(幕末)〜1954(昭和29)年
- 咢堂(がくどう)と号した。
- 1882(明治15)年、立憲改進党の創立に参加。
- 1890(明治23)年、第1回総選挙で当選。
- 以後、連続25回当選して、63年間にわたり議員をつとめた。
- 1898(明治31)年、大隈重信内閣で文相。
- 1913(大正2)年、第1次護憲運動で桂太郎内閣を総辞職に追い込んで「憲政の神様」といわれるようになる。
- 1914(大正3)年、第2次大隈内閣で法相。
- 立憲政治の完成という立場を徹底して貫き、政治的妥協を拒否した。
- 外交では、始めは国家主義的な立場をとっていたが、第1次世界大戦後から民主主義、平和主義、国際協調主義の立場から軍縮を進めた。
- 普選運動では先頭に立ち、治安維持法制定には最後まで反対した。
- このため日中戦争直前の議会では次第に孤立するようになったが、1937(昭和12)年に死を覚悟して軍部批判の演説を行うなど軍国主義批判をすてることはなかった。
- 戦後は議会でも特別の敬意を表される存在となったが、1953(昭和28)年に落選して引退、翌年死去した。
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- 1912(明治45)年、東京市長だった尾崎は、アメリカ・ワシントンのポトマック公園に3000本の桜の苗木を贈った。
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関連HP |
財団法人尾崎行雄記念財団 |
■尾崎咢堂記念館(神奈川県相模原市緑区)
2011/12/10 |
2012.01.15 |
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