源為朝
みなもとのためとも
平安時代
末期の武将。
1139〜1177?
源為義の8男で、母は
遊女
といわれる。
1156(保元元)年の保元の乱
(ほうげんのらん)
では、父の為義とともに崇徳上皇
(すとくじょうこう)
側についたが敗北する。
乱後、
伊豆大島
(東京都大島町)
へ流されたが、その後も近隣の島々で悪行を続けたため、1177(治承元)年に工藤茂光の追討をうけて自殺したという。
弓矢に優れ、強弓の使い手としても知られる。
滝沢馬琴
の「
椿説弓張月
(ちんせつゆみはりづき)
」は、その生涯に伝説を加味して小説化した作品。
為朝伝説は伊豆諸島にひろく流布しているが、さらに琉球へ渡った為朝が琉球王朝の祖になったなどの伝説も残っている。
参考:エンカルタ2007
2010.08.18
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