草間彌生 くさま やよい
  • 造形作家、小説家 
  • 1929(昭和4)年-
公式HP
草間彌生
関連
ビデオ映像あり動画:草間彌生デザイン市街地周遊バス・タウンスニーカー(長野県松本市)
■草間彌生などの作品を展示している駒ヶ根高原美術館(長野県駒ヶ根市)

2007/4/20
■草間彌生のオブジェがある松本市美術館(長野県松本市)

2006/8/31
草間彌生の年表
西暦 日本-年代 草間彌生-出来事 日本-出来事 世界-出来事
1929 昭和
  • 1929(昭和4) 長野県松本市に生まれる。
1931
  • 1931(昭和6)-1933 満州事変
1941
  • 12月7日 1941 日本海軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃を行なった。
1945
  • 1945 第2次世界大戦、終結
1949
  • 1949(昭和24)京都市美術工芸学校(現、京都市立芸術大学)絵画科卒業。
1950
  • 1950年代 幼少時から幻覚や離人症に苦しんだが、その治療のためもあって始めた絵画で才能を開花させ、水玉模様や網目などの単純な同一モティーフを繰り返し、無限に反復していく独自の表現「オブセッショナル(強迫的)・アート」を展開する。
  • 6月 1950(昭和25) 朝鮮戦争、勃発
1953
  • 7月 1953(昭和28) 朝鮮戦争、終結
1954
  • 1954(昭和29) ベトナム戦争始まる。
1957
  • 1957(昭和32) アメリカに渡る。
  • 1957 EEC(ヨーロッパ経済共同体)結成
1958
  • 1958(昭和43) シアトルからニューヨークに移る。
1959
  • 1959(昭和34) 初めての個展で、巨大な黒い画面を無数の白い網目で覆った「無限の網」を発表し注目を集める。
1961
  • 1961(昭和36) 増殖する網目は立体に発展し、肘掛け椅子(いす)やソファを白いペニス状の詰め物でびっしりと覆い尽くしたソフト・スカルプチャー(柔らかい彫刻)を発表する。
1963
  • 1963(昭和38) ペニスの詰め物を生やしたボートをモティーフにしたインスタレーション「集積の1000のボート・ショー」をこの年に発表し、以後は、展示空間全体を作品化した環境芸術的作品を発表。
1965
  • 1960年代後半 美術の制度や政治と社会を告発するゲリラ的で反道徳的な姿勢に貫かれた挑発的なハプニング(パフォーマンス・アート)を欧米各地で行なう。
1968
  • 1968(昭和43) 「草間の自己消滅」など一連の実験映画の制作でも認められる。
1973
  • 1973(昭和48) この頃から制作の拠点を日本に移し、作品を制作・発表する。
1975
  • 1975(昭和50) ベトナム戦争、終結
1978
  • 1978(昭和53) この年以降、自伝的要素の強い小説を多数発表する。
1983
  • 1983(昭和58) 「クリストファー男娼窟」で野生時代新人文学賞を受賞する。
1987
  • 1987(昭和62) 北九州市立美術館で初の回顧展
1989 平成
  • 1989(平成元) ニューヨーク国際現代芸術センターとオックスフォード近代美術館で回顧展が開催され、国内外で草間再認識の動きが高まる。
1993
  • 1993(平成5) 第45回ベネツィア・ビエンナーレで日本代表として個展を開催。
  • 1993 Jリーグ発足
  • 11月1日 1993 EU European Union(ヨーロッパ連合)発足
1994
  • 1994(平成6) この年から野外彫刻を手がける。
1996
  • 1996(平成8) この年からはニューヨークのギャラリーを中心に活動している。
  • 1996 横山やすし 51歳で死去
  • 11月 1996 たまごっち発売
1998
  • 1998〜99(平成11) 大回顧展がニューヨーク近代美術館、東京都現代美術館などを巡回し、日本だけではなく世界的視野においても戦後の前衛美術を代表する作家として注目を集める。
2000
  • 2000(平成12) 芸術選奨文部大臣賞・外務大臣賞
2001
  • 2001(平成13) 朝日賞を受賞。
  • 9月11日 2001 アメリカ同時多発テロ。
2002
  • 2002(平成14) この年の個展では、ゆっくりと自転する巨大なミラーボールのインスタレーション「宇宙の心」で厳粛な空間を作り出し、これまでの強烈なオブセッショナル・アートを突き抜けたかのような禁欲的な新境地が話題になる。
2010.2.7

My Dictionary