川島芳子 |
かわしま よしこ |
- 満州事変(1931(昭和6)年〜1933(昭和8)年)から日本の敗戦時(1945(昭和20)年)まで、日本陸軍の女性スパイとして活動したとされる。
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- 1906(明治39)年-1948(昭和23)年
- 中国名:愛新覚羅顕'王子'(あいしんかくらけんし)
- 小説『男装の麗人』(1933(昭和8)年)のモデルとなり、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた。
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- 中国・清の王族の娘として生まれたが、後に日本人、川島浪速(なにわ)の養女となる。
- 川島は清を武力ではなく、政治的に復活させようと唱えていた。
- 松本高等女学校時代(長野県松本市)は自宅から学校まで馬に乗って通っていた。
- 後年は陸軍のやり方を批判していたという。
- 「日本人たる前に亜細亜(アジア)人であらねば成らぬ」という自筆の書が残っている。
- 中国・国民政府軍によって逮捕、裏切りの罪で処刑されるが、証拠の一つとして小説の内容が使われたという。
- 現在の中国で復権の動きもあるという。
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- 川島芳子が登場したドラマ
- 「流転の王妃・最後の皇弟」(2003/11/29.30(テレビ朝日)
- 川島芳子 -- 江角マキコ(当時37歳)
- このドラマの主人公は中国、最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の弟、愛新覚羅溥傑(竹野内豊)
- 「男装の麗人〜川島芳子の生涯〜」(2008/12/6 テレビ朝日)
- 川島芳子:
- (14〜35歳)黒木メイサ(当時21歳)
- (38〜41歳)真矢みき(当時44)
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- 川島芳子に関する本
- 「孤独の王女 川島芳子」(2004)
- 「男装の麗人」(2002)
- 「男装の麗人・川島芳子伝」(1988)
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川島芳子の年表 |
川島芳子に関する記事 |
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2008.11.20 |
- 「男装の麗人」川島芳子 目撃証言相次ぐ
- 処刑「替え玉」説 再燃
- 「55年ごろ、瀋陽であった」 「長春にいた」話も
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- 清朝の王女、川島芳子が日本のスパイとして中国・国民党政権に処刑されて今年で60年。
- 処刑を巡っては、これまでも「替え玉説」が繰り返し流れた。
- 上坂冬子氏の著書「男装の麗人・川島芳子伝」によると、処刑直後、替え玉だったとの訴えが当局に出され、死を疑問視する報道もあった。
- 遺体の顔が血で汚れ、見分けにくかったことが疑念を膨らませたよう。
- 日本を占領統治したGHQも替え玉説を重視、1949(昭和24)年に「彼女の存在は極東に危険な状況をもたらしかねない」と調査を指示した。
- A級戦犯容疑者だった故・笹川良一氏は巣鴨拘置所での尋問に「中国では何でも金で片がつく。あの遺体は別人だと思う」と話したという。
- 生存説、替え玉説に決定的証拠はない。
- 「あれだけ注目された女性。生かしておきたいと望む気持ちが様々な話を生んでいる面もあるのではないか」と、「川島芳子を偲ぶ会」会長(84)(長野県松本市)。
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朝日新聞 |
2008.03.30 |
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- 京都・妙心寺の古川大航禅師が遺骨を日本に持ち帰り、川島家の菩提寺の正麟寺に葬ったと伝えられる。
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市民タイムス |
2008.03.28 |
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- 10代から20代にかけて松本(長野県松本市)で過ごした川島芳子の没後60周年の法要が、芳子の墓がある正麟寺で営まれる。
- 川島芳子を偲ぶ会が主催し、日中両国の平和を望みながらも、スパイの疑いがかけられ祖国で処刑された芳子の生涯に思いをはせる。
- 偲ぶ会は毎年、芳子の命日の3月25日ころに記念行事を開いている。
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■松本市歴史の里内川島芳子記念室(長野県松本市)
2007/7/27 |
2010.2.8 |
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