- 1746〜1821
- 現・埼玉県本庄市の農家に生まれ、7歳で失明、12歳で母を失い、15歳で盲人としての修行のため江戸に出る。
- 検校(けんぎょう)雨富須賀一(あめとみすがいち)に師事し、音曲(おんぎょく)や鍼術(しんじゅつ)を習う。
- 歌道・神道・歴史・古典を学び、国学者の賀茂真淵(かものまぶち)にも入門する。
- 1779(安永8)年、国史・国文の典籍を網羅的に納める「群書類従」の編纂(へんさん)を始め、のち40年の月日を費やして完成。
- 1793(寛政5)年、幕府の許可を得て和学講談所を開設、史料の調査研究や後進の教育を進める。
- 保己一が計画した六国史以降の史料を集める「史料」編纂事業は未完成に終わり、のち東京大学史料編纂所に引き継がれることになる。
- 1821(文政4)年2月、総検校に任官するが半年後に没する。
|