- 885〜930
- 在位897〜930年
- 父の命令で藤原時平・菅原道真両人を重く用いるが、901年(延喜元)二人が対立して道真は失脚する。
- 醍醐天皇の治政は前半の時平時代には律令制の復古主義に基づく政策が打ち出されたが、後半の忠平時代は、逆に律令的原理とは異なる現実路線への転換がはかられる。
- 醍醐天皇の時代は、律令国家から王朝国家への転換期でもあった。
- 摂政(せっしょう)・関白をおかずに天皇が直接政治を行う天皇親政を実現するなどの政治制度の刷新を含め、文化面でも画期的な時期として、後世高く評価され「延喜の治(えんぎのち)」と呼ばれた。
- 国史や格式、「古今和歌集」の編纂(へんさん)が行われるなど、国風文化の隆盛期でもあった。
- 晩年の天皇は道真の怨霊に悩まされた。
- 時平が若くして亡くなったことや、皇太子の保明(やすあきら)親王(しんのう)の死などがいずれも怨霊と結びつけられた。
- とりわけ930年(延長8)の清涼殿への落雷による衝撃で、天皇は皇位を朱雀(すざく)天皇に譲り、数日後に没した。
|